陽だまり (2019/9/28投稿)

今のてらこや新都心の建物は、私の父と母が暮らし、私たち姉妹が生まれ育った場所です。

私が子供の頃は、父がいくつかの役職を引き受けていた関係で、大勢の地域の人たちがしょっちゅう出入りしていました。
父はいつもその集まりの中心にいて、母がお茶や食事を出したり、かいがいしく働いていたのを思い出します。

私が、その父が集いの場としていたこの建物を「地域の居場所つくり」に活用しようとしているのは、そんな父の影響もあるのかもしれません。

でも、私は父のように人の輪の中心になろうとは思っていません。
性格的にそのようなことはできないのです。

むしろ皆様が気軽に集まることができる居心地のいい場所を提供し、そこでの活動を通じて集まった皆様がご自身で人の輪を作り、癒され、ほんの少しでも元気を受け取れる・・・そんなことを裏方としてお手伝いできたらいいと思います。

父はある意味、みんなの中心にある太陽のような人でした。

私は、そのようになることを望みませんし、できません。

むしろ、柔らかな陽がさして、そこに居るだけでぽかぽかと暖かさを感じる「陽だまり」のような存在になりたいと思っています。

心の許せる他人 (2019/10/2投稿)

てらこや新都心の活動を説明する時に、私がよく言うことは「人のつながりを作りたい」ということです。

孤独だと言われることも多い幼児期の子育てから、大広間でワイワイ遊ぶ子どもたちまで、私の願いはそのような皆様に、てらこや新都心が「人のつながり」を手に入れることができる「場」を提供することです。

その「人のつながり」の中で一番得難いものが「心の許せる他人」という関係だと思います。
「心の許せる他人」の関係は、夫婦関係だけでなく、あらゆる身の回りの人と作れる可能性はあります。

自分以外は、「他人」ですから。

むしろ、その「他人」ということを認識することが第一歩なのかもしれません。

「心が許せる」という言葉は、実は人見知りで内気な私が、そんなに簡単に使える言葉ではありません。

それだけにそんな関係は、一生を通じて手に入れることができないかもしれないような、文字通り「得難い」関係です。

でも、全く不可能ということでもないと最近感じています。

「塵も積もれば山となる」、「千里の道も一歩から」・・・・

ほんのちょっとしたことの積み重ねが、大きなことをなしとげる道であることを示す事例や、そのための背中を推す言葉は、数多くあります。

でも、その「ほんのちょっとしたこと」を始めるのは自分自身です。

その「ほんのちょっとしたこと」を始めてみようかなと思えるてらこや新都心でありたいと思います。

実りの秋 (2019/10/5投稿)

私たちは、てらこや新都心をどのようにしていきたいかという「夢」や「想い」についての話し合いを頻繁にしています。

ひょっとすると、実際の運営作業(広報、会計、事務手続きなど)より多くの時間をこのような話し合いに費やしているかもしれません。

そんな中から出てきた話題の一部は、このブログでも紹介させていただいていますが、その多くは私たち運営するものの中で共有され、基本的な運営方針となり、日々の様々な決断の判断基準になっていきます。

しかし、もっと大切なことは、その私たちの「夢」や「想い」が、このてらこや新都心という「場」に広がっていき、「気」となって、ここにいらっしゃる皆様の心に響くことです。

おいでいただく皆様が、てらこや新都心という空間に満ちている「気」の中から、ご自身で感じ取っていただければいいと思います。

私たちの運営の基本は、皆様に「場」を提供し、その「場」を私たちの「想い」で満たし、居心地の良い空間を作ることです。

そこで、何を感じ、何を得るかは、おいでになる皆様次第です。

私たちは、何かを押し付けるようなことはしません。

そんな日々の中、てらこや新都心に満ちている(と願う)私たちの想いを感じ、受け止めてくれた方がいらっしゃいました。

てらこや新都心を運営してきてよかったと思える素敵な時間でした。

てらこや新都心を初めて5年半、その間コツコツと積み重ねてきた話し合いが、心と心で繋がることができた一瞬でした。

私たちにとっての「実りの秋」でした。

収穫の秋 (2019/11/3投稿)

私は人生の秋を迎えていると言ってもいい年齢かもしれません。

10代、20代、30代・・・・と様々な出来事がありましたし、そのときそのときを精一杯生きてきたと思っています。

てらこや新都心の活動に追われる日々を過ごしている中で、一人事務所に座っていると、ここにいることの心地よさを感じる時があります。

「地域の居場所作り」というビジョンを掲げて、てらこや新都心の準備を始めてから、6年が経ちました。
その間、たくさんの人と出会い、別れ、繋がり・・・皆様の居場所を作るために様々な努力をしてきました。

でも、その1日1日の積み重ねは、私自身にとっても居心地の良い居場所を育てていく作業だったことに気づきます。

私の友人が言いました。

「人生の秋は、下り坂ではありません。毎日が一歩一歩の上り坂です。 明日は今日より、少しだけ高いところに登るんですよ。」

確かにその通り。

そうやって、てらこや新都心の活動を通じて、一歩一歩と足を踏みしめて登っていくと、また新しい景色が見えるのかもしれません。

それは素晴らしい紅葉の景色かもしれません。

秋は、実りの秋。

今までの努力の結果を実らせる時ですが、それは次の季節へ向けての準備の秋でもあります。

私の人生の秋も、次の季節へ向けての準備でありたいと思います。

今度の日曜日の10日は、「てらこや収穫祭」が開催されます。

たくさんの方が集まって、秋の実りを楽しむとともに、次の季節に向けての種蒔きの機会になりますように。

青空 (2019/12/16投稿)

今回は、「てらこや新都心」の運営メンバーの長谷川さん(通称:先生)からのブログです。

11月のある晴れた日のことでした。

年末に向けて、子どもたちの活躍でだいぶ風通しの良くなっていた障子の張替えをしていました。

昔ながらのやり方で、障子を庭に出し、庭の水道栓から水をかけて障子の桟についた糊をほぼ洗い流し終わって、障子を縁側で干そうと運んでいた時でした。

突然、世界が回り、右肩に激痛が走りました。

子どもたちが泥んこ遊びのために掘ったくぼみに水がたまり、捏ねた名残の泥で足を取られて、右肩から落下したのだと理解できたのは、しばらくしてからでした。

あまりの激痛に身動きができず、5分くらい泥水の中に身を横たえて、痛みに耐えながら、なぜか青空を眺めていました。

周囲には、花壇の周囲を飾るレンガなどもあり、転ぶ方向によっては石に頭を打ち付けて、てらこやの庭が私の終焉の地になる可能性もありました。

幸いにして骨折は免れましたが、肩の一部の腱が断裂し、全治6ヶ月とのことでした。

私の周りでは、今年はなぜか自分の大切にしていたことを、まるで取り上げられるように失う友人が数名います。中には、そのために命を落とした方も・・・

来年70歳になる私が今大切にしているものは、家族の次に「てらこや」という居場所です。

危うく、その「大切なもの」をどちらも失うところでした。

「いつ失うかわからないものだからこそ、大切にしたい」

肩に痛みがあるたびに、そう思っています。

(長谷川記)

新年の抱負 (2020/1/6投稿)

令和2年の運営スタッフとの初顔合わせは、昨年のふりかえりと、充電期間に充てていたお正月の間に考えたことの分かち合い、令和2年、そして次の世代への引き継ぎについて・・・・と話は広がりました。

昨年後半は、運営スタッフそれぞれに思いもよらないアクシデントが続き、カバーし合いながらなんとか運営を続けた期間でした。

人は年々歳をとっていきます。

また一つ歳をとる新年を迎えたことから、話は自然とてらこや新都心を次の世代にどう引き継ぐかという話になりました。

そこで共有できたことは、「てらこや新都心」は、どんな形になるか分かりませんが次の世代に託すものではなく、次の世代が引き継ぐべきだと思ってくれる「大切さ」を積み上げて行くことが大事だということでした。

また今年一年、皆様にとって「大切な場所」と思っていただけるよう、石を一つ一つ積み上げるように、地道に活動を続けていこうというのが、新年の抱負です。

出会う場所 (2021/1/26投稿)

2回目の緊急事態宣言が出され、さいたま市では今日から公共施設の閉館が強化され、地域の居場所がますます少なくなる厳しい期間となりました。

そのような中でもてらこや新都心は施設を開き、この場所を必要としている皆様がおいでいただけるようにお待ちしています。

でも、同じような地域の居場所作りの活動をしている団体の中には、これに合わせて活動を休止、もしくは縮小するところも出てくることでしょう。

それは、それぞれの団体が良かれと思って決断することですので、尊重すべきことでしょう。

この週末は、居場所としての「てらこや新都心」についていろいろと考えを巡らせていました。

いわゆる地域の居場所には、大きく分けて二つの種類があると思います。

一つは「人と出会う場所」、もう一つは「自分と出会う場所」です。

「人と出会う場所」は、自分の活動や世界を広げるために人とのつながりを求める人たちが集まる場所です。「人と出会う場所」を求めている方は、それだけである程度心が元気で、なんらかの行動を起こせる、もしくは起こそうとすることができる人です。

一方、「自分と出会う場所」は、様々なストレスなどが原因で、自分を見失いがちな人たちが安らぎを求め、自分を見直すことを通じて、次の一歩を踏み出すための準備をするところです。こんな場所を必要としている人は、前に進む元気が欲しい、そのために心の整理がしたいという方が多いと思います。

てらこや新都心が目指しているのは「自分と出会う場所」です。

ですから、いつも「気軽にふらりとおいでください」とお誘いし、いまのような緊急事態宣言下でも、施設を開けています。

なぜなら、こういう時こそ「自分に出会う場所」が必要になる方がきっといらっしゃると思うからです。

おいでいただいても、なんの専門知識もない私たちが積極的に何かをサポートすることはできません。

ただ、必要でしたらお話を伺い、受け止めて差し上げることだけです。

でも、ちょっと懐かしい感じのする和室と、そこに満ち溢れている暖かい雰囲気は、きっと皆様が自分を取り戻す助けになることと信じています。

ほっとできる自分の居場所を求めている皆様、どうぞてらこや新都心においでください。

なんのお構いもできませんが、暖かくお迎えすることはお約束します。

そして、いらっしゃった時よりも、ほんの少しでも元気でおかえりになることを願っています。

息抜き (2020/3/6投稿)

さいたま市内の小学校は3月2日から2週間、新型コロナウィルス対応で休校になっています。
この休校処置に伴う様々な困難や、緊急対応策が毎日報道されています。

てらこや新都心でも、子どもラボでは平日の毎日午前10時から子どもたちの受け入れ態勢をとっています。
2〜3日おきに簡単なランチも無償で提供しています。

先日、あるお母さんが「私は専業主婦だから、お昼ぐらいは作らないと・・・・」とおっしゃっていました。

でも、私たちの考えは違います。

お母さんたちも新型コロナウィルスについては家族の健康に心を砕き、マスクや消毒液などの調達に奔走し、日用品の在庫を確かめ・・・・、日々大変な思いをしていることに変わりがありません。

そんなお母さんたちが心身ともに健康であってこそ、家族の安全が守られると思います。

お子さまがてらこやで時間を過ごしている間に、ホッと一息入れて、のんびりランチタイムを過ごし、それでまた少しだけ元気を取り戻すことも大切だと思います。

ちょっと一息いれる時間を持つためでも、子どもラボを利用していただきたいと思います。

そんなことを考えながら、今日は子どもたちと一緒にランチタイムに焼きそばを作ります。

てらこや新都心の戦い方 (2020/3/21投稿)

新型コロナウィルスは世界中に広がり、各国が対応に追われています。
それを「戦争だ」と表現する首脳も出てきています。

そんな中で、吹けば飛ぶようなてらこや新都心も、その居場所としての活動を続けるための戦いを続けています。

私たちは、利用する人たちがいる限りは、平日は日中のほぼ全てを費やして居場所を提供し、よく触れるところを消毒する。

利用する方は自分の体調に気を配り、利用前の手指の消毒、咳エチケットを心がけることを通じて、他の人にも配慮する・・・・

お互いにやるべきことをきちんとやっているという信頼関係で、この小さな「居場所」は維持されています。

それだけで新型コロナウィルスの感染が防止できるとは限らないかもしれません。

でも、そんな信頼関係で成り立っている「癒しの場」が、あってもいいと、私は思っています。

想像力=創造力 (2020/8/21投稿)

創造力はAI時代に求められる大切な力ですが、それを支えるのは「想像力」。

子どもたちがもともと持っている力です。

学校の授業で育てるのはなかなか難しい力です。

ご家庭を含む周囲の暖かい目と優しい言葉がこの力を育てます。

また、この力は子どもたちの周囲に笑顔を広げ、暖かい気持ちにさせてくれる力です。

時間に追われる育児の中ではなかなか育てるのが難しいどころか、帰ってその芽を摘んでしまうこともあります。

他の子どもと比べることが難しい力ですから、気づきにくい力でもあります。

暖かい目で見守りながら、そんな力を育める「場」にしたいと思います。