お守り

「お守り」をいただきました。
とあるお寺さんで授かったものを、お土産としてくださったものです。

以前にも記した通り、てらこや新都心は特定の宗教をお勧めするようなことは致しておりません。

また、お守りはそれを信じない人にとっては、ただの袋に入った紙や木片に過ぎないのかもしれません。

でも、そのお守り袋の面に織り込んである様々な願い(例えば「家内安全」、「学業成就」、「商売繁盛」、「縁結び」などなど)を思うと、そのお守りをくださった方のわたしを気にかけてくださるお気持ちが、その小さな布の袋に込められているのは間違いありません。

そう考えると、いただいた「お守り」は、くださった方の思いを伝えるメッセージであることに、思い当たりました。

思いを込めてお渡しする小さな袋だったのです。

そのお気持ちを受け取り、大切に身につけていたいと思います。

てらこやに出入りする方々に、時として私たちの思いをどう伝えたらいいのか、迷う時もありますが、こんな素敵な伝え方もあるのですね。

*写真の「お守り」は実際にいただいたものではありません。

祈りについて

短い期間でしたが、少しお休みをとって家族と古都を旅してきました。

大小様々な「祈りの場」では、多くの人たちがそれぞれの形で自分の「思い」と向き合っていました。

私自身は、何か熱心な宗教の信者ではありませんし、そのようなものをてらこや新都心に持ち込み、広める気持ちもありません。

ただ、自分の中の大切な価値観の一つとして、持っていたいとは思っています。

その「思い」と向き合って祈る人たちにまじって手を合わせるうちに、その私の「思い」、そして捧げられている「思い」の多くが、「他の人の幸せを祈る」というものだと気づきました。

以前のブログで、てらこやに満ちている「気」について触れたことがあります。

どうやら、その「気」の中身は「他の人の幸せを祈る」ということのようです。

出入りする子どもたちの健やかな成長と、将来の幸せな人生への一歩の手助けになることを願い、子育て世代の皆様には、その貴重な時期が苦労や苦痛だけでなく、楽しさや充実感、子どもの成長を味わうことができる人生の一コマになるように願い、ライフステージが大きく変化することの多い女性にとって、てらこやが人生の「癒しの場」になることを願う・・・・。

そんな場に身を置くことで、その少しのお裾分けとして「充実感」をいただく、そんな場所が私の中での「てらこや」ではないかと思います。

満ちている「気」について

3年ほど前に、てらこや新都心に満ちている(と言われる)「気」についてブログに書いたことがあります。

その「気」は、私たちが目指すものだったり、利用してくださる方が寄せられたコメントだったりします。

ところが最近、運営している私たちも、ふとその「気」を感じることが多くなりました。

それは、どうやら3年目となるコロナ禍の中で、てらこやを運営していく上での制限、自主規制からくるストレスを解放するために開催した「てらこや縁日」の頃から始まり、人数を制限しながら始めた親子での会食「てらこや食堂(ハロウィーンイベント)」、そして、開催方法を吟味しながら復活を果たした「てらこや収穫祭」と、だんだん強くなってきているようです。

それは、何か温かい、心がホッとして、落ち着くような気持ちです。

てらこやで過ごす子どもたちや、大人たちを迎え入れ、慌ただしく対応に追われる毎日ですが、人の流れがひと段落して事務室にちょっと腰を下ろす時に、そんな「気」を感じます。

これが「居場所」であることを実感するということでしょうか?

そして、そんな時間にふと思ったことは、その「気」は、流れているものではなくて、運営する私たちが「発散しているものではないか?」ということです。

てらこやの運営方針に賛同し、共感し、運営のサポートをしてくれる、そんな人たちの暖かい心のつながりから発散されているものかもしれません。

「おはようございま〜す」、「こんにちは〜」、「あみさぁ〜ん」・・・・
子どもたちは、さまざまな元気な言葉と共に、てらこやに戻ってきます。
そのそれぞれの言葉に「おかえり〜」と答える毎日と、それに続く子どもたちに追いまくられる時間、そしてその合間に訪れる仲間とのホット一息のひととき・・・・

そんな時に感じる「気」は、私たちをも癒してくれます。

そのことが、また新しい「気」を生み出しているのかもしれません。

「自己肯定感」

自己肯定感、この言葉は、てらこや新都を始めたときから活動の基本となるキーワードの一つです。

折に触れて運営スタッフ同士で話題になり、ここにご縁のある方々にもお伝えしてきた言葉です。
子どもたちの居場所作り活動「子どもラボ」でも、子どもたちを受け入れ、見守る時の指針となる言葉です。

自己肯定感とは、簡単にまとめると「自分自身をありのままに、肯定的に受け入れること」といえます
似たような言葉の「自信」は何らかの根拠が必要なのに対して、自己肯定感は「根拠がいらない」ことが特徴です。

つまり、自分がそう思えは良いということですね。

先日のスタッフとの雑談の中でも、そのような話になりました。

どうしたら自己肯定感を育めるか?
まずは、心の鎧を外し、太陽の光を受けること、そして風や雨を自分自身の肌で感じること、そして、上を向くこと・・・・
そんなことのような気がします。

ただ、その「心の鎧を外す」ことは、簡単ではありません。
誰でも、傷つきたくない、自分を守りたいという気持ちはあります。

とはいえ、そのガードを下げることが自分を認め、受け入れる第一歩であるのでしょう。

てらこや新都心は、「ここなら心の鎧を外しても大丈夫」という思いを伝えられる場所にしたいと思ったことでした。

もう一度前へ

2週間ほど前に、てらこや新都心のホームページ(HP)のデータが全てなくなりました。

いろいろと調べたところ、外部の人間にデータベースそのものが全て削除されていることがわかりました。

その作業を行なったIPアドレスが判明しているので、身内のものの仕業ではないのは確認できています。

いくつかの技術的な理由で、とってあったバックアップからの復元もできませんでした。

てらこや新都心の活動が始まってすぐに立ち上げたHPで、もうすぐ10周年を迎える活動のさまざまな記録、わたしたちの想いの詰まったHPでしたので、その喪失感に打ちひしがれてしまい、てらこや新都心の活動そのものにも心が向かない時期が数日ありました。

その喪失感の中、スタッフ同士で話し合いを持ちました。

出た結論は、「私たちは、まだまだやれるし、それをこのことで試されている」ということでした。

てらこや新都心の活動がこの先どうなるかは誰にもわかりません。

でも、私たちは一歩一歩私たちが選んだ道のりを歩んでいこうと思います。

そんな決意表明を、復活したHPの最初のブログとして上げさせていただきました。

思いを寄せる

てらこや新都心には、日々さまざまな方が出入りしています。

中には、困りごとや悩みを打ち明けて行かれる方もいらっしゃいます。
それは、ちょっとした不安・不満であったり、深刻な悩みだったり・・・・・

内容はさまざまです。

基本的には、話を私たちから引き出すことはしません。
お話しいただいたことを、受け止め、可能でしたら、自分達の体験をお話しするだけです。
ただ、「話したい」というサインは見逃さないようにして、そのサインがあった時は水を向けるようにしています。

専門家ではありませんので、解決策をお話しすることはできません。

一つだけ、心がけていることがあります。

それは、折に触れて「思いを寄せる」こと。

ふとした時に、「あの人はどうしているだろう」、「あのことはどうなっただろう」と思いをかけることです。

決して、深刻になることはせずに、ただ思いを寄せる・・・・・
そんな気持ちが、その方がまたてらこや新都心にいらっしゃった時に、自分の居場所だという安心感につながると信じています。